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神戸地方裁判所 昭和46年(行ウ)35号 判決

原告 岩崎正次

被告 神戸刑務所長・国

主文

一  原告の被告神戸刑務所長に対し、作業時間八時間の定役に対し一〇時間の就業を課したことは違法であることの確認を求める訴を却下し、被告神戸刑務所長に対するその余の請求を棄却する。

二  原告の被告国に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告は「被告神戸刑務所長は原告に対し定期健康診断を行え。被告神戸刑務所長が原告に対し作業時間八時間の定役に対し一〇時間の就業を課したことは違法であることを確認する。被告国は原告に対し金一〇万円を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決を求め、

被告神戸刑務所長は本案前の答弁として「被告神戸刑務所長に対する訴を却下する」との裁判を求め、本案に対する答弁として「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め

被告国は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

一  原告の主張

1  監獄法施行規則(以下規則とも略称する。)一〇七条は、「独居拘禁に付せられたる在監者にして一八才未満のものは少くとも三〇日毎に一回、その他の者は少くとも三月毎に一回、雑居拘禁せられたる受刑者にして刑期一年以上のものは少くとも六月毎に一回監獄医をして健康診断を為さしむ可し」と規定し、神戸刑務所監房備付規則書には「六か月に一回は定期診察が行われる」と明記されている。また結核予防法四条も矯正施設たる刑務所に対し収容者の健康診断を義務づけている。

それに拘らず原告が神戸刑務所に収容された昭和四五年八月一四日以降現在迄の間一度も定期健康診断が行われたことはない。よつて被告神戸刑務所長に対し規則一〇七条、結核予防法四条に定める定期健康診断を行うよう求める。

被告神戸刑務所長は本訴は却下されるべきものであると主張する。即ち同被告は規則第一〇七条は刑務所長の裁量権に属すると主張するが同被告は「規則一〇七条は刑務所長に対し健康診断を義務づけるもの」と自ら裁量権を否定しており、右法文は「少くとも……三〇日毎(三か月毎、六か月毎)に一回監獄の医師をして健康診断をなさしむべし」と規定するのであつて厳格に例外を許さない趣旨である。従つて原告は当然に健康診断要求権を有するものである。なお同被告は行政庁の第一次判断権について種々主張するが、規則一〇七条も法規であり国家公務員法九八条一項は「職員はその職務を遂行するについて法令に従い云々」と国家公務員の義務を定めており、国家公務員たる刑務所長は当然に法令に従う義務を有していることは明白である。また、原告が定期健康診断を施行するよう作為を求める訴は行政事件訴訟法三条、三〇条により認められる。

被告神戸刑務所長は、健康診断について「何らかの方法により収容者の健康状態把握が行われておれば定期健康診断が更めて要求されるいわれはない」と主張する。しかし健康診断とは規則一〇七条によるまでもなく医師が行うべきものであり保健助手、保安職員による観察を通じて健康状態を把握している状態をもつて健康診断をしているとする現況は明白に違法である。

同被告の健康状態の把握即ち保健助手、保安職員による観察についての主張、また自らの申出により随時医師の診察を受ける事ができるとの主張はいずれも事実に反する。即ち、(1)保健助手が舎房および工場を巡回するのは休日を除く毎週月水金または火木土の診察日と定められた週三回である。(2)診察日に診察を希望する者はまず舎房または工場担当看守に申出て診察簿に記入してもらう。工場あるいは舎房に保健助手が診察簿に記載された者を観察しその結果備薬を投与するか自ら治療するかあるいは医師による診察を許すかまたはそれらの必要を認めないと診察等の申出を拒絶するかの決定をする。(3)診察日以外の日に身体の異常を訴える場合は舎房または工場担当看守に診察を申出るのであるが受付けた看守が収容者の状態を判断して当日診察を受けしめるかあるいは次回の診察日迄延期させるかを決定する。(4)前三項の場合の状況判断の資料が同被告主張の喫食状態等であるが、身体の異常を推定させる喫食状態とは不食即ち主食および副食を全然摂らない場合のみをいうのである。その他では体温が三七度五分以上ある場合のみに限り随時医師の診察を受けることができるが、その他は余程の異常がない限り診察は拒否される。(5)保安職員とは看守または看守部長で舎房または工場の担当者のことであり医師でないのは勿論看護人でも準看護人でもないのである。以上のごとく保健助手、保安職員という無資格者をしてその恣意に診察の要否を委ねている事実は単に違法のみならず収容者の生命軽視も甚だしいものである。

また同被告は健康状態の把握手段として監獄法三九条・四三条による個別的な随時の健康診断または治療行為を行つていると主張するが失当である。即ち同被告が「必要あれば個別的に云々」と自認しているとおりこの場合の診察対象者は異常を訴える者であり、同被告のいうこの健康診断の目的は患者の病因発見の為に行うものである。仮に一歩譲つてこの同被告のいう「健康診断」を個別的健康診断としてもこの健康診断を受け得る者は保健助手および保安職員の恣意を乗り越え得た極く僅少の者であり全収容者の何パーセントかにすぎない。また収容者中全期間を通じて全く診察を受けない者も相当数あり、六か月以上ともなれば過半数である。

斯様な状態であるから全収容者の健康状態の把握が行われているとは言えない。

2  被告神戸刑務所長は、原告に対し昭和四六年一月二九日から同年二月五日迄の日曜日を除く七日間連続して強制的に二時間の日課時限たる八時間就業を課した。即ち、一月二九日は午前、午後および昼、夕食後の休憩は全くなく午後五時四〇分作業終了、(平日は午前、午後共に午前九時からおよび午後二時から各一五分間、昼食は午前一一時二〇分から四〇分までで、四〇分から一二時までが昼食後の休憩時間である。)二月一日は、休憩が午前九時から五分間、昼食は午前一一時二〇分から二〇分間、同一一時四〇分から作業開始、夕食は午後四時から一五分間、同四時一五分から作業開始、同五時四〇分作業終了、二月三日は休憩は午前九時から五分間その他は二月一日に同じ、午後五時四〇分作業終了、二月四日は休憩は午後二時から五分間その他は二月一日に同じ、午後五時四〇分作業終了。

ところで、懲役因に課す作業時間は原則として八時間であり地方の事情により若干の変更は認められているが例外規定としては監獄法二五条に「就業を免ぜざることを得」とあるのみである。憲法二七条は「就業時間休息その他の勤労条件に関する基準は法律でこれを定める」として労働基準法(以下労基法という。)三四条は休憩時間に関し「労働時間が六時間を越える場合」「少くとも四五分」「八時間を越える場合」「少くとも一時間」の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならないとしている。刑務所における懲役刑受刑者の就業形態は、一般企業における使用者と労働者の関係と比較して、刑務所と受刑者の関係が異なるところは労基法でいう労働者の権利が受刑者には全くないのみで労働という義務において異るところはない。労働に関する権利が与えられていないからといつて労働の義務を無制限に許すとなると奴隷的拘束となる。奴隷的拘束は憲法一八条において禁止されており、受刑者の定役賦課についての就業もなんらかの法的保護が与えられなければならない。現行法規では監獄法二四条があるのみで安全保護についてはなんらの基準は見あたらないが受刑者も国民であるから放置することは許されず従つて現在の刑務所作業全般については労基法で定める基準によつて諸条件を整えているのである。従つて監獄法二五条の「就業を免ぜざることを得」る作業以外の作業に就く受刑者には、労基法三二条・三四条の法定労働条件は刑務所側において厳守すべきである。

被告らは「一般労働者が有する労働権は否定される」と主張するが、否定されるのは労働者の労働法上の請求権のみであつて労基法一一二条の国に対する適用まで否定されるものではない。憲法一四条の精神よりすれば同一刑務所における作業時間は監獲法二五条の作業を除き規則五八条二項により刑務所長の定めた日課時限表の作業時間である。当時の神戸刑務所の日課表による作業時間は八時間である。これを越える作業時間を課した理由として被告らが主張する「試験問題の納期」であるが試験問題の印刷は当年が最初ではなく例年同時期に行つているのであり、印刷能力については作業技官が十分知つており且つ印刷能力に影響を及ぼす偶発事故も全くない状況下においてなおかつ工程管理の権限を有する作業技官が常時二名勤務している等の諸条件を考えると被告らのいう「刑務作業の管理上の必要」の必然性は全く認められない。被告神戸刑務所長が延長作業を課した理由は試験問題印刷物の納期にあると推察されるがこれは規則五八条二項の作業の種類には該当しない。刑務所長にその伸縮が許されている規則五八条二項の範囲は同条一項の作業時間即ち一日八時間、一週間を通じて四八時間を越えてはならない。

3  原告は神戸刑務所の印刷工場で定役作業に服役しているものであるが、右印刷工場には自動鋳造機が二台あり終日鋳造しているが活字用金属溶解時には有毒ガスが相当量発生し、鋳造機の上には換気孔が設けられてはいるが無風の雨天あるいは曇天の日には換気不良のため周辺に広く異常な臭気が漂い咽喉等を強烈に刺激する。労基法三六条、同法施行規則一八条九項は鉛の蒸気又はガスを健康上特に有害な物質として規定しており、活字と使用している金属の主体は鉛である。また悪臭の中にはP・C・B(ポリ塩化ビフエニール)の気化したものが含まれておりこれが体内に吸収され排出されることなく累積するにも拘らず鋳造作業に従事する者を含めて印刷工場の全員に対し定期健康診断が行われていないことを前1のとおりであり、また昭和四六年九月二三日実施の印刷工場に対する採便検査に際しても五一名中四八名に実施し、残る原告ら三名に対しては器具不足との理由で実施されなかつたし、毎月中旬に行うとされている体重測定についても印刷工場に関しては原告が同工場で作業中一度も行われなかつた。被告神戸刑務所長が原告に対し奴隷的定役外作業を賦課したこと前2のとおりである。

さらに試験問題の印刷であるという理由で信教の自由が侵害された。即ち昭和四五年一一月九日から同四六年三月二四日迄の間試験問題印刷のため宗教教誨参加が禁止された。これにつき被告らはいずれも試験問題が他に漏れるのを防ぐため、他工場就業受刑者との接触を防ぎ試験問題が漏れなくする為と主張するが一般教誨、映画会等ではなんらの制限もしていない。またこの宗教教誨と同じ理由で公費または私費による通信教育受講希望者および義務教育未就者に対する学科教育希望者に対し昭和四六年九月印刷工場就業受刑者に対してのみ制限の告知がなされている。憲法一四条はすべて国民は法の下に平等であることを示しており、受刑者にとつても機会均等の原則の適用は当然であり、宗教教誨・通信教育の受講・義務教育の補育教育等の希望者に対しては刑務所は当然収容者に対し機会を均等に与えるべきである。試験問題印刷という特殊物印刷に伴う秘密保持という付随問題はその作業を指導、監督する刑務所職員の職務上の問題であつて受刑者にはなんらの義務を負わすべき法的根拠はない。受刑者は定役に服する義務即ち印刷工場服役者は印刷作業に服する義務はあるが、その作業に伴う社会的義務というべき試験問題の秘密保持という義務は受刑者に義務づけられる理由はない。けだし受刑者にはこの義務に対応する権利が全くないからである。かかる刑務所職員の義務完遂の責任を一部受刑者の基本的人権を侵害してまで一部受刑者に転嫁することは許されない。

以上要するに被告神戸刑務所長、同刑務所職員は原告に対し奴隷的拘束を課し、もつて原告の精神および肉体に損害を与えている。

4  よつて、原告は被告神戸刑務所長に対し原告に対し定期健康診断を施行すること、作業時間八時間の定役に対し一〇時間の就業を課したことが違法であることの確定を求め、被告国に対し、原告の精神的、肉体的苦痛の慰謝料として金一〇万円の支払を求める。

二  被告らの主張

1  被告神戸刑務所長に対する請求はいずれも却下されるべきである。

(一) 原告は被告神戸刑務所長に対し定期健康診断を行うべしとして同被告に対する作為を求めているが、かかる行政庁に対する行政権の行使を命ずることを求める訴えは裁判所が上級行政庁に代つて行政監督権の行使をする結果となり理論的に三権分立の原則に照し許されないものであるし、現行行政事件訴訟法もかような訴えを認めていない。仮に許されるとしても、それは行政庁が一定の行為をすべきことが法律上覊束されていて、その行為をすべきことが行政庁の第一次的判断を重視する必要がない程度に明白でかつ事前の司法審査によらなければ国民の権利救済が得られず回復し難い損害が生ずるという緊急の必要性がある場合に限り許されると解するのが妥当である。本件についてみるに収容者に対する健康診断を規定した規則一〇七条は定期性につきよるべき基準を定めた規定にすぎず厳格な例外を許さない趣旨で定められたものではなく、収容者の健康保持の見地から健康診断を行うか否かは被告刑務所長の裁量権に属し、したがつて行政庁の第一次的判断を重視する必要がない程度に明白であるとは到底言い難い。また収容者の健康保持については被告神戸刑務所長において収容者の全生活を通じて健康観察を行つておりその結果必要があれば個別的に随時健康診断または治療行為(監獄法三九条ないし四三条)を行つているものであつて、定期的な健康診断が実施されなかつたことにより直ちに原告がなんらかの不利益を蒙るものではない。

(二) 原告は被告神戸刑務所長が原告に対し作業時間八時間の定役に対し、一〇時間の就業を課したことが違法であるとしてその無効の確認を求めるものであるが、かかる行政処分自体の無効確認の訴なるものは当該処分の無効を前提とする現在の法律関係に関する訴えによつて目的を達することができないものに限り提起しうるものである。

よつて原告の被告神戸刑務所長に対する本訴請求はいずれも不適法であるから却下されるべきである。

2  監房備付規則書(所内生活のしおり)に「六か月毎に一回は定期診察が行われる」旨の記載があること、原告が服役した印刷工場に活字鋳造機二台が備付けられ終日鋳造していること、その上に換気孔を取付けてあること、印刷工場就業受刑者に対し六か月毎に定期健康診断を行わなかつたこと、原告が印刷工場で就業中体重測定を行わなかつたこと、昭和四六年九月二三日印刷工場就業受刑者に対し採便検査を実施したが器具不足のため原告を含む三名については実施しなかつたこと、収容者の作業時間は原則として一日八時間であること、試験問題の漏洩防止のため印刷工場就業受刑者に対し他収容者との接触を禁じたことは認める。

3  原告は、昭和四五年七月二八日神戸地方裁判所姫路支部における確定判決により懲役四年の刑に処せられ神戸刑務所に服役中のものであるが、懲役刑とは刑法一二条二項で「懲役は監獄に拘置し定役に服す」と規定されている如く、刑罰の内容としての強制労働であり、国家刑罰権に服することにより一般労働者が有する労働権は否定されるものである。そこで服役者の作業時間についてみるに規則五八条一項では法務大臣は別にこれを定めるとし、同条二項では刑務所長は地方の状況、監獄の構造または作業の種類により必要と認めた場合、作業時間の伸縮ができるとされている。而して、被告神戸刑務所長が原告に対し昭和四六年一月二九日から同年二月五日までの間に実働八時間を越える延長作業を課したのは入学試験問題の発注先である各学校の入学試験日がほとんど二月実施を予定し、従つて入学試験問題印刷物の納期が二月上旬に集中することとなり通常の作業時間による稼働能力では定められた期日に納品することが困難であるため刑務作業の管理上、延長作業の必要を認めたことに基づくものである。以上のように、被告神戸刑務所長が原告に対し延長作業を課したことはなんら違法でなく、原告の請求は失当である。

4  一、被告神戸刑務所長は規則一〇七条に規定する健康診断を行つていないが、それは定期の健康診断を実施しなくても収容者の健康保持に支障がないと判断しているからである。即ち、規則一〇七条は収容者の健康保持のため健康診断の一応の基準を定めたものであり、同条に規定する健康診断のほかなんらかの方法により収容者の健康状態の把握が行われておれば同条の目的は達せられるものであるからそのうえ機械的に同条の定期的健康診断が要求されるものではないし、反対に同条の定期健康診断さえ行つておれば収容者に対する健康管理上の責任を免れるというものでもない。要は収容者の健康保持、刑務所の管理機能等よりみて具体的に決すべき事項である。

神戸刑務所においては保健助手が毎朝居房工場等を巡回し、収容者の健康観察を行い、健康上の相談に応じ、病状を訴える場合には医師の診断を受けしめるか備薬を与える等適切な処置をしており、また保安職員が収容者の全生活を通じて喫食状況に注意し、顔の表情動作の変化等の観察を通じて健康状態を把握し、異常者を認めた場合はその都度医務部に連絡することとして収容者の健康保持のため措置を講じている。なお保健助手とは、刑務所における衛生事務を補助することを目的として、衛生管理に関する特別技能を有する者で看手部長の職にある者のなかから被告神戸刑務所長が任命し、通常人以上の専門知識、経験を有し神戸刑務所所属の医師の指揮監督下にあつて職務を行うものである。従つて保健助手が医師の指揮監督のもとに、保健助手職務規定(大正一二年六月司法省訓令第八号)の定めるところに従い、医師の手足として疾病の軽重緩急に応じて適宜の措置を講ずる行為は、保健助手が医師法の定める医師でないとしても医師の行為に準ずるものとして評価されてしかるべきものである。

次に原告に対する神戸刑務所入所(昭和四五年八月一四日)以来、今日まで実施してきた医療上の処遇ならびに健康管理は次のとおりである。

(一) 昭和四五年八月一四日、規則一三条に基づく法務技官柳川家興によるレントゲン検査を含む入所時健康診断および昭和四五年一一月二〇日、同四六年五月二七日、同四七年五月一日各健康診断。

(二) 昭和四五年九月四日、同月一四日、同月一八日、同月二一日、保健助手による備薬投与。

(三) 昭和四六年二月五日発熱を訴えたので、法務技官柳川家興の指示により注射投薬。

(四) 昭和四六年二月一八日、血痰、咳嗽を訴えたので、法務技官柳川家興が診断のうえ注射投薬。翌一九日ひきつづき同医師の診断により胸部レントゲン検査、血液沈降反応検査、検痰、投薬のうえ病舎に収容し、爾後休養と投薬による化学治療を続け、同年三月五日再びレントゲン検査を行い、その結果気管支肺炎による陰影の消失をみたが、なお慎重を期すため同月一一日まで治療を続け、同日をもつて軽快退病。

(五) 昭和四六年六月二日結核予防法によるツベルクリン注射を実施し、同月四日発赤検査実施。

(六) 昭和四六年五月二八日、同年七月一六日、同年八月六日保健助手による備薬の投与。

(七) 昭和四六年一〇月八日、規律違反による懲戒執行時にあたつて法務技官柳川家興が診断。

(八) 昭和四六年一一月九日以降指痛、膝関節痛、心窩部痛、胃痛、凍傷、腹痛、頭痛を訴えたので計二七回にわたる医師の診察、治療ないし医師の指示による投薬。

(九) 昭和四七年六月一五日、胸部レントゲン検査。

(一〇) 昭和四七年六月二一日結核予防法によるツベルクリン注射実施、同月二三日発赤検査実施。

なお、体重測定については昭和四六年二月印刷工場就業受刑者について体重測定を実施したが、当時原告は急性気管支炎のため病舎収容中であつたため同年三月同病舎において、また第三舎収容中である同年一〇月にそれぞれ体重測定を受けている。また検便についても、集団生活における施設内の防疫衛生上の見地から特に炊事作業を担当する収容者ならびに病舎収容中の患者の看護作業を担当する収容者については定期的に検便を実施しているが、一般工場就業受刑者についてはできるだけ実施するにとどまつている。この検便についても刑務所長が法律上実施義務を負うものではない。

以上のほかに収容者は自らの申出により随時医師の診察を受けることができ収容者の健康保持には全く支障がなく、定期の健康診断をしなかつたからといつて違法ではないし、規則一〇七条は刑務所長に対し健康診断を義務づけるものであり直接収容者に健康診断要求権を与えたものではない。従つて定期的に健康診断をしなかつたからといつてなんら原告の権利を侵害したことにはならず、また現実に原告が定期的に健康診断を受け得なかつたために罹病したというものでもないから、そのために精神的苦痛を蒙つたともいえない。

二、原告は活字用金属溶解時には有毒ガスが相当多数発生し、無風の雨天あるいは曇天の日には換気不良のため周辺に広く異常な臭気が漂い咽喉等を刺激すると主張するが事実に反する。即ち原告が就業した印刷工場における活字鋳造工程は、外部より地金(インゴツト)を購入し、活字鋳造機で溶解し活字を鋳造する場合と、使用済の古活字をあらかじめ溶解釜で溶解し地金とし、鋳造機で活字を鋳造する場合とがある。後者の場合、溶解釜で使用済の古活字を溶解する際、古活字に付着している印刷インキや油等が焦げ悪臭を発するが、この悪臭は咽喉を強烈に刺激する等人体に影響を与える有毒ガスではない。しかし悪臭を発するので古活字の溶解は通常の場合は屋外に据付けられた溶解釜で行うが、降雨が続く場合は止むを得ず直接古活字を鋳造機で溶解する場合がある。しかしながらこの場合発生する悪臭は活字鋳造機の上に備付けられる換気扇で工場外に排気しており原告主張のような換気不良のため異常な臭気が漂うようなことはない。仮に悪臭等の影響があつたとしても原告は直接鋳造作業に就労した事実はなく、原告が就労した作業内容、作業位置からして悪臭等はほとんどなく、人体に影響を与えることはない。即ち原告は(1)製本工として昭和四五年九月三日以降紙揃作業に就労し、鋳造機との間隔距離は約一七メートル、(2)植字文選工として同年九月二四日以降活字差換作業に就労し間隔距離は的一六メートル、(3)計算工として昭和四六年六月三日以降工場日報、日課表の記入整理等当刑務所担当職員の補助的作業に就労し間隔距離は約一八メートルであつて、これらの点からしても原告に対し肉体的、精神的損害は与えていない。

三、被告神戸刑務所長が前3記載のとおり原告に対し延長作業を課したことはなんらの違法ではなく、また延長作業時間ならびに作業内容からみて原告が主張するような奴隷的定役外作業を課したものでもない。

四、原告は、昭和四五年一一月九日から昭和四六年三月二四日まで試験問題印刷のため印刷工場就業受刑者に対し、宗教教誨参加が禁止され、通信教育受講希望者および義務教育未就者に対する学科教育希望者に対し同四六年九月制限の告知が行われた旨主張する。

しかしながら原告は、入所以来現在まで一度も宗教教誨への参加を希望したことがなく、また通信教育受講者義務教育未就者でもない。

なお神戸刑務所では国およびその機関が宗教的活動を行うことは禁止されているので宗教的活動は行つていないが、収容者の宗教的欲求を充足させる見地から各宗派の宗教教誨師が来所し各宗派ごとに宗教教誨を希望する収容者に対して宗教活動を行うことを許容し、収容者に対しては希望する宗派の宗教教誨に参加することを許した。宗教教誨参加希望者は、毎月初めに希望宗派の教誨への参加希望を担当職員に申出て申込用紙に記入する方法で行い宗教教誨は講堂において教誨師が参加者に対し、教誨、講話を行うが、宗教教誨の性質を考慮し、参加者に対する戒護は間接的に行い、教誨師、参加者間の接触は自由に任せている。そこで、被告神戸刑務所長は、入試問題の印刷の期間である昭和四五年一一月九日から同四六年三月二四日までの間入試問題が外部に洩れることを防止するため印刷工場就業受刑者で宗教教誨参加希望者に対し、その他の参加希望者と同席の宗教教誨への参加は認めなかつた。しかし右は合理的理由によるものであつて、なんら違法ではなく、まして収容者に宗教教誨や通信教育受講を要求する権利があるわけではないから収容者の権利を侵害したことにはならない。

次に通信教育受講者に対しては、勉学上夜間の照明を考慮した通信教育房に集めて収容しているが、入試問題印刷に従事した就業受刑者に対しては、入試問題が外部に洩れるのを防止するためその期間他の房へ転房せしめたが、そのほかに通信教育受講を禁止する等の制限は一切行つていない。また義務教育未就者に対する学科教育については入試問題印刷従事者に対してもなんらの制限を加えていない。

以上いずれよりしても原告の国に対する請求は理由がない。

第三証拠〈省略〉

理由

第一被告神戸刑務所長に対する訴(請求)について。

(訴の適否)

一  定期健康診断の施行を求める訴について。

1 被告神戸刑務所長は、右訴は行政庁に対し行政権の行使を求める訴(所謂義務付け訴訟)であつて、かかる訴は裁判所が上級行政庁に代つて行政監督権の行使をする結果となり理論的に三権分立の原則に反すると主張する。右被告の理論的に三権分立の原則に反するとの主張はこれを推測するに、行政庁に対し作為不作為の義務の確認を求める訴(所謂義務確認訴訟、これは理論的には法的判断作用の領域を越えるものではなく、裁判所が行政庁に代つて行政権を行使することにはならない。)とは異なり義務付け訴訟は、判断作用の領域を越え行政庁に処分・不処分を命ずる積極的・意欲的作用を行うもので司法権の固有領域を越えるものであるとの主張であると解せられる。しかし行政庁を裁判所の事前の判断で拘束するという点では確認訴訟の形態と給付訴訟の形態であるとなんらかわるところはなく、判決主文における給付命令は、行政庁に一定の作為義務あるとの判断に基づきこの判断の結果を実現すべきことを要求する意思表示にほかならず、裁判所が行政監督権を行使する結果となるものではないし、また行政庁がその判決に拘束されてその行為をしなければならなくなつたとしても、これをもつて裁判所が行政行為をしたのと同じ結果になるというべきではない。しかもかような給付判決は現行法上強制執行の方法がないことを考えれば、主文の形式が給付でも確認でも判決の実質的効力は同じである。そうとすれば本訴の形態が給付訴訟であるからといつてただちに三権分立の原則に反し許されないとする見解は形式的な三権分立の原則論であつて、当裁判所は右見解に左袒することはできない。

しかしながら、当該行政行為をなすこと又なさないことの行政庁の第一次的判断権は尊重されねばならず、裁判所の審理、判断は基本的には事後審査を原則とすることに鑑みれば、本訴のごとき義務付け訴訟は無条件に許されるべきものではなく、当該行政行為が法律上覊束されており、行政庁の第一次的判断権を重視する必要がない程度に明白であり、かつ事前の司法審査によらなければ回復困難な損害が生ずる緊急の必要性がある場合にのみ許されると解すべきである。

そこで本訴について考えてみるに、原告は規則一〇七条および結核予防法四条による定期健康診断を求めるものであるところ、規則一〇七条は「独居拘禁に付せられたる在監者にして一八才未満のものは少くとも三〇日毎に一回、其の他の者は少くとも三月毎に一回、雑居拘禁に付せられたる受刑者にして刑期一年以上の者は少くとも六月毎に一回監獄医をして健康診断をなさしむ可し」と規定し、

収容者健康診査規程(大正一四年司法省訓令二号)は健康診査は身体並びに精神について行うと定め身体健康検査および精神健康診査についてその行うべき項目、準拠を定め、右訓令と同日に発せられた行刑局長通牒行甲第四六七号(収容者健康診査規定施行に関する件)は右規程の制定理由、右規定は周到な注意と熱意をもつて実施せらるべきである旨述べ、右規定の施行に関する七項目にわたる準則を定め、大正一四年一一月行刑局長事務取扱通牒行甲第一、八〇〇号(収容者健康診査規程施行に関する件)は、右規程施行につき便宜上の措置を定めている。(なお右規定、通牒は健康診査の用語を用いており、規則においても健康診査という場合と健康診断という場合がある。(規則一三条・一〇七・一六〇条二項等)しかし右規程通牒が規則で定める健康診断の場合を除外する趣旨であるとは考えられない。)

ところで、監獄法四〇条は「在監者疾病に罹りたるときは、医師をして治療せしめ必要あるときは之を病監に収容す」と定める。在監者の疾病の治療は、拘禁を行う国家として当然に負うべき義務であるということができる。そして疾病の治療はもとより医師の判断によるのであるがその端緒は在監者の申告、治療の請求によるほか担当看守の日常の視察に俟つところも大きい。しかし疾病の予防早期発見、治療にとつて最も重要なのは医師による健康診断であるということができる。しかも右健康診断は定期的に行われることによつてその効用を最も効果的に発揮することができることは論をまたない。かかる観点にたつて規則一〇七条を考えるとその法文の体裁からいつても、同条は刑務所長に対し定期の医師による健康診断を義務づけるものであり刑務所長において右健康診断を行うか否かの裁量権は有しないものと解するのが相当である。なお、原・被告双方とも規則一〇七条に定める健康診断の内容については論じるところがないが、当裁判所は叙上に述べてきたように収容者健康診査規程がその内容の一応の基準を定めるものであると解する。被告神戸刑務所長は、収容者の全生活を通じ健康観察を行つておれば、健康診断を実施するか否かは刑務所長の自由裁量であると主張する。

なるほど、前記通牒行甲第四六七号二項は、支所又は出張所においては保健技師(手)の不足等一定の事情があり、健康診査規程の施行上特に差支えある場合には予め認可を得てその一部の施行を省略することができるとし、同行甲第一、八〇〇号三項は同じく支所又は出張所においては保健技師嘱託医師等の配属されない箇所で事実上健康診査の施行が不可能な場合は当分の間は特別に認可を要せず健康診査を省略することができるとしている。しかし右は、いずれも支所又は出張所においては、人的設備等の不備の場合(換言すれば、健康診断の施行が人的設備等の客観的条件が不備のため事実上困難若くは不可能な場合)には、暫定的に健康診断を施行しなくてもよい場合を定めているのみであつて、前述したように定期の健康診断が疾病の予防・早期発見・治療のための最も基本的かつ重要な手段であることに鑑みれば、被告刑務所長の主張するように、収容者の全生活を通じ健康観察を行つていたとしても、定期の医師による健康診断を行わなくてもよいとは解し難いといわなければならない。

次に結核予防法四条一項は「……矯正施設その他の施設で政令で定めるものの長は、……当該施設に収容されている者に対して、毎年期日又は期間を指定して定期の健康診断を行わなければならない」と規定し、結核予防法施行令二条は法四条一項の規定によりその長が定期の健康診断を行わなければならない施設として監獄等を定め、同令二条の二は「法四条一項及び三項の規定による定期の健康診断はおおむね六箇月の間隔をおいて毎年二回行うものとする。ただし、そのうち一回は前回行つた健康診断の際結核発病のおそれがあると診断された者についてのみ行う」と定めている。従つて結核予防法にいう健康診断(その内容については同法六条、同法施行規則に定めがある)もまた定期的に行われることを予定している。

ところで結核予防法は、結核の予防及び結核患者に対する適正な医療の普及を図り、結核が個人的にも社会的にも害を及ぼすことを防止し、もつて公共の福祉を増進することを目的とし、国および地方公共団体は結核の予防及び結核患者の適正な医療に努めなければならない(同法一条・二条)のであり、国家の施設たる刑務所の長は、本法に定める健康診断を施行すべき義務を負い、これを施行するか否かの裁量権を有しないこと明白であると言わなければならない。

次に、原告に事前の司法審査による救済を必要とする回復困難な損害の発生する緊急性があるかについて考えるに、規則一〇七条、結核予防法四条一項に定める健康診断が施行されないことにより原告に生ずる損害は疾病(後者はとくに結核)の早期発見、治療の機会を失することにより生ずる疾病の発生、悪化であると考えられ、それは人命にかかわり、あるいは身体の傷害を惹起せしめるものであつて、その性質上回復困難な損害ということができ、右損害の発生の可能性は常に存在し(原告において右損害の発生が具体的であり且つ高度の蓋然性を有している旨主張する必要はないと解するのが相当である。けだし、右の如き具体的な損害(疾病)の発生の可能性はまさしく健康診断により発見されるべきものであるし、これにつき高度の蓋然性が認められるような場合は、もはや健康診断を必要とする状態の域を越え、対症療法がなされるべき場合に立ち至つているものであるからである。)定期の健康診断は、疾病の予防的機能をその本質とすることを鑑みれば、事後の救済はほとんど意味をなさず、まさしく、裁判所による事前の司法審査は許される場合にあたるということができる。

ところで原告が受刑者、従つて規則一〇七条に定める健康診断の対象者であることは当事者間に争いがないが規則一〇七条は、受刑者の衛生・健康管理の観点から定められたもので、刑務行政上の刑務所長に対する命令規定であると解され、従つて受刑者個人に同条の健康診断の施行を要求する権利を直接認めたものではないと解される。しかし前記の如き定期健康診断の重要性および受刑者個人が自己の意思に基づき健康診断を受けることの困難性を考えれば、受刑者に対する衛生・健康管理とくに疾病に対する予防面における健康管理が十分でない等の事情が認められる場合には、受刑者は刑務所長に対し前記法条に定める健康診断の施行を要求し得る場合の存することを否定することはできない。また結核予防法も直接健康診断対象者に同法所定の健康診断を施行すべきことを要求する権利を定めたものとは解されない。しかし、同法七条は、健康診断の期日又は期間が指定された場合には受診義務があることを定め、同法六三条一号は右受診義務に違反した場合の罰則規定をおいていること、同法は結核を予防、撲滅することにより公共の福祉の増進を目的としていることを考えれば、同法の定める健康診断施行の要求は相当高度の権利性を有するものであり、また受刑者という特殊環境をも考慮すると、前記のような健康管理の行き届かない具体的事情下においては、受刑者は刑務所長に対し、右健康診断の施行を要求し得る場合がありうるというべきである。

よつて原告の被告神戸刑務所長に対する右訴は適法である。

二  作業時間八時間の定役につき一〇時間の就業を課したことの違法の確認を求める訴えについて。

原告は、昭和四六年一月二九日から同年二月五日迄の間日課時限たる八時間就業の外に強制的に二時間の就業を課したことは違法であるとの確認を求めるものであるが、右労役賦課処分の効力は現存せず、また右処分に続く後続処分は存せずさらに後続処分を予定するものでもないのであるから原告は右処分の無効確認を求める法律上の利益を有しないというべきである。のみならず、原告が右処分により損害を被つたような場合は、損害賠償を請求することによりその目的を達し得るということができる。

よつて、いずれの点からするも原告の右訴は不適法として却下を免れない。

(本案について)

一  原告は、一定の事情が認められる場合には、被告神戸刑務所長に対し、規則一〇七条、結核予防法四条一項に定める健康診断を要求し得ること前述のとおりである。

そこで、神戸刑務所における収容者に対する健康管理の状況につき考察するに、いずれもその方式および趣旨により公務員が職務上作成した公文書であるから真正に成立したものと推認すべき乙第三号証、同第四号証の一ないし四、同第五号証、同第六号証の一・二、同第七号証、同第八号証の一ないし四、同第九号証の一・二、同第一〇号証、証人岸本寅雄、同柳川家興の各証言および弁論の全趣旨を綜合すると次の事実を認めることができる。すなわち

1(神戸刑務所における受刑者に対する健康管理機構、運営状況)

神戸刑務所には医務部があり、同部内に保健課(課長以下六名)医療課(課長以下五名)がある。医師の資格を有するものは医務部長(常勤)のほか保健課長柳川家興医師(毎週木曜日、金曜日、出勤)、同課の森本医師(月曜日、水曜日出勤)、医療課長宮脇医師(火曜日、土曜日出勤)であり、常勤の医務部長のほか、常時少くとも一名の医師が執務態勢にある。そして、保健助手(レントゲン関係者以外は看護夫の資格を有している。)は、毎日居房工場等を巡回し収容者の健康状態を観察しており(最も、保健助手は神戸刑務所内を二分し、一日で巡回するのはそのなかばであるから、収容者からみると隔日の巡回となる。なお病舎収容者については毎日巡回している。)各工場・舎房等の保安職員(看守)は、前記保健助手巡回の日に収容者からの訴を聞き神戸刑務所備付の備薬投与簿に記入し、巡回してきた保健助手はこれを閲覧し、収容者を診察し、薬物を投与したりまた自ら判断し難い場合は医師の指示をあおいで治療にあたつている。

2(原告に対する個別的な医療上の処遇および健康管理)

(一) 原告は昭和四五年八月一四日神戸刑務所に入所したが、右入所に際し、規則一三条による健康診査(その内容は前述収容者健康診査規程に定めるとおりである。)およびレントゲン検査が実施され、右健康診査に基づき健康診査簿が作成され、昭和四五年一一月二〇日、同四六年五月二七日、同四七年五月一日各健康診断(その内容は前述のとおり)が行われ、昭和四五年九月四日、同月一四日、同月一八日、同四六年五月二八日には原告の水虫の治療の申出に対し保健助手により薬物投与がなされた。

原告が昭和四六年二月五日に発熱を訴えた際には、医師柳川家興が診察し、解熱剤を投与する等の処置がなされ、同月一八日には原告が血痰がでると訴えたため、右柳川医師は結核若くは気管支炎の疑いがあると判断し注射投薬をなし、翌一九日に胸部レントゲン検査、血液沈降反応検査、検痰等を行い、病舎に収容し、薬物投与等の化学療法を継続し、同年三月五日には再び胸部レントゲン検査を行い、その結果原告の気管支炎による陰影は消失し、ほぼ治ゆしたと認められたが、更に慎重を期し化学療法を継続し、同月一一日気管支炎治ゆにより退病した。また原告は昭和四六年一一月九日以降右手第一指痛、左膝関節痛等を訴えた際には二〇数回に亘り医師の診察、治療、投薬等が行われている。

(二) 原告は、昭和四六年六月二日、同四七年六月二一日に各結核予防法に基づくツベルクリン反応検査を受け、昭和四七年六月一五日には胸部レントゲン検査を受けた。

以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二  以上の認定事実によると、神戸刑務所の医療態勢・収容者に対する日常の衛生・健康管理は相当充実しているということができ(保健助手、保安職員による日常の健康管理は原告が主張するように主として対症療法であるが、それが疾病の予防的機能をも併せ有していることは否定できない。)、健康診断(その内容は、収容者健康診査規程に定めるとおりである。尤も右健康診断が医師により実施されていると認めるに足りる証拠はない。)も六か月毎には実施されてはいないが年に一回ないし二回実施されていることが認められるのであつて、疾病発生に対する予防的措置が不十分であるとは認められない。

右の如き事情の下では、規則一〇七条所定の医師による定期健康診断が実施されないとしても、原告が直ちに重大明白な不利益を被るとは認め難く、従つて原告が右法条の健康診断が定期的になされることにより受ける利益はそれ程大きくはないと考えられるから結局本件においては原告が被告神戸刑務所長に対し規則一〇七条に定める定期健康診断の実施を要求し得る場合には該当しないというべきである。

次に結核予防法に定める健康診断については、ツベルクリン反応検査は毎年一回行われており、同法の健康診断としてではないにしても、原告は結果的には入所以来右レントゲン撮影のほかに四回のレントゲン検査を受けており、乙第三号証、証人柳川家興の証言によれば、神戸刑務所では、入所時にレントゲン撮影を実施するため、その際異常の認められなかつた者に対しては以後はツベルクリン反応検査のみを行つてきたが最近はレントゲン撮影も併せ実施するようになつたことが推認せられる。

右事情下においては、原告は被告神戸刑務所長に対し、結核予防法に定める健康診断の実施を要求し得ないこと明らかである。

よつて原告の被告神戸刑務所長に対する定期健康診断施行請求は理由がなく失当である。

第二、被告国に対する請求について

原告が服役した印刷工場(神戸刑務所第六工場)には活字鋳造機が二台備付けられ終日鋳造していること、その上に換気孔が取付けてあること、印刷工場就業受刑者に対し六か月毎に定期健康診断が実施されなかつたこと、収容者の作業時間は原則として一日八時間であること、被告神戸刑務所長は入試問題印刷期間中試験問題の漏洩防止のため印刷工場就業受刑者に対し他収容者との接触を禁じたこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。

右争いのない事実に成立に争いのない乙第一号証、同第二号証、同第一一・第一二号証、証人岸本寅雄の証言および弁論の全趣旨を綜合すると次の事実を認めることができる。すなわち、

1  原告は、昭和四五年九月初から神戸刑務所第六工場(印刷工場)で製本工として就労し、同月末からは植字工兼差換工として、原告が入病した昭和四六年二月から三月を除き、同年六月まで就労しその後は計算工(雑役夫)として就労した。印刷工場には鋳造機が二台設置され終日鋳造作業を行つているが同工場における鋳造工程は、外部から地金を購入し活字鋳造機により溶解し活字を鋳造する場合と使用済の古活字を溶解釜で溶解し地金とし鋳造機で活字を鋳造する場合とがあるが、後者の場合は古活字に付着している印刷インキや油等が焦げ悪臭を発する。そこで古活字の溶解は、梅雨時期とか止むを得ない場合のほかは屋外で行うことにしているが、年に三回程は印刷工場内で直接鋳造機に入れて行うことがある。その場合でもできる限り付着したインキ等を洗じようしている。さらに鋳造機の上部には三〇センチメートル羽の換気扇が取付けられ、換気が行われている。なお、原告が就労した植字工、製本工等の作業位置は鋳造機から一七メートル前後離れている。

2  神戸刑務所における受刑者の通常の作業時間は八時間であるが、入試問題の印刷のため昭和四六年一月二九日から同年二月五日迄の間(但し、一月三一日は免業日)は原告を含む印刷工場就業者に対して一〇時間の就業(尤もこの一〇時間には休憩時間等が含まれる場合があり実労働時間は、一〇時間を若干下まわる)を課した。右期間中は、通常与えられている午前・午後の休憩時間各一五分、昼食後の休憩時間二〇分は短縮されたり、全く与えられなかつたりしたが右休憩時間の短縮分は作業終了後の入浴時間若くは午後の運動時間に充当された。なお右期間中残業終了後の一七時四〇分から一八時までの間に残業食が給与された。

3  被告神戸刑務所長は入試問題の印刷の期間である昭和四五年一一月九日から昭和四六年三月二四日迄の間入試問題が外部に洩れるのを防止するため印刷工場就業受刑者で宗教教誨参加希望者に対し、その他の参加希望者と同席の宗教教誨への参加を認めず、また結果的には、教誨師の日程の都合上右印刷工場就業受刑者には、右期間中宗教教誨は実施されなかつた。また印刷工場就業受刑者中の通信教育受講者を、その他の通信教育受講者から隔離した。しかし原告は神戸刑務所に入所以来、宗教教誨への参加を希望したことはなく、通信教育の受講者でも義務教育未就者でもない。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上によると、原告が就労した印刷工場においては、使用済の古活字を鋳造することがあり、その場合には悪臭が生ずることが認められるが、右鋳造を直接工場内の鋳造機で行うのは年に三回程度であり、換気扇等による換気も配慮されているのであり、右悪臭がとくに人体に有害なガスを含むと認めるに足りる証拠はなく、原告ら印刷工場就業者に対し、日常の健康管理が相当十分になされていること既に第一で認定したとおりである。そうすると、印刷工場での就業により原告が精神的・肉体的損害を被つたとは認め難く、また昭和四六年九月二三日原告に対し採便検査がなされなかつたこと、原告が印刷工場就業中体重測定を受けなかつたことは当事者間に争いがないが、右事実により直ちに原告が損害を被つたとも認められない。

また、懲役刑服役者に対する作業時間は、規則五八条一項および昭和二八年一一月一九日法務大臣訓令矯正甲第一、二七〇号(作業時間について)によれば休憩時間を除き一日につき八時間、一週につき四八時間が原則であるが規則五八条二項によれば刑務所長は一定の場合は右作業時間の伸縮ができるものと定められている。本件においては、被告神戸刑務所長は原告に対し、昭和四六年一月二九日から同年二月五日迄(但し一月三一日を除く)一〇時間の作業を課したこと前認定のとおりであるが、それは、入試問題の印刷物の納期が二月上旬に集中するため、右納期に完納するためにとられた措置であり、規則五八条二項の許容するところであるというべく、延長作業時間も二時間足らずであり、その期間も短かく、残業食等の配慮もなされているのであつて、右延長作業の賦課は合理的理由がありまた不相当でもない。してみるとこの点についても原告が精神的・肉体的損害を被つたものとも解し難い。

なお原告は信教の自由の侵害等を主張し、入試問題印刷の期間中(昭和四五年一一月九日から同四六年三月二四日迄)印刷工場就業者中宗教教誨参加希望者に対し、宗教教誨は実施されなかつたこと前認定のとおりであるが、原告自身は、宗教教誨参加を希望したことはなく、また通信教育受講者でも義務教育未就者でもないのであるから、そのことにより原告がなんらの損害を被つたものではない。

その他に、原告が被告神戸刑務所長ないし神戸刑務所職員の違法行為により損害を被つたと認めるに足りる証拠はない。

よつて、原告の被告国に対する本訴請求は理由がなく失当である。

第三、結論

よつて、原告の被告神戸刑務所長に対し、八時間の定役に対し一〇時間の就業を課したことの違法確認を求める訴は不適法であるからこれを却下し、同被告に対するその余の請求および被告国に対する請求はいずれも理由がなく失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 乾達彦 糟谷邦彦 宗宮英俊)

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